ギャラリー

七不思議

1.玉こぶのけやき(縁結びのけやき)

弘法大師が密行を終え、下山の際かたわらのけやきの枝を折り、杖としこの地にさして去りましたが、活着し亭々として成長したと伝説のあるけやきです。
イボ取り、こぶ取りには霊験新たなりとして信仰されております。

<平成18年に放火により焼失し、現在は炭化した状態に屋根をかけ保存。燃えた時は、青光りする炎が木の中から煙突のようにあがり、普通の炎とは違っていました。炭はあらゆる空中の無機物を吸収する性質をもっており、炎焼後の今、神々しさを尚、増しているように見えます。>

2.雫の桜(涙の桜 しだれ桜にて)

葛西公奥方(※1)お手植の桜です。
葛西晴信(※2)の奥方が日和山の名木「しだれ桜」の鉢をここで割り、植えて、佐沼に落ちて行きました。
晴天の日でも葉先からしずくを落とし、それがさながら奥方を慕う涙か、はたまた奥方の悔し涙かと言われています。
現在は枯れてしまい幹のみとなっています。樹令400年→→→※1 源頼朝から地頭に任ぜられる。伊達氏に滅ぼされるまで鎌倉時代から、桃生、牡鹿、本吉地方一帯を治めていた。
※2 天正18年、豊臣秀吉の臣、木村春貞、蒲生氏の軍にまず石巻で大敗した葛西晴信は佐沼城に移り、力戦甲斐なく、自害し、ここに葛西家は17世紀約400年にして滅亡した。

3.一夜の松

ご本堂から向かって左側にある松は、ご本堂お屋根替えの時に、一夜にして虚空蔵菩薩様が曲げたといわれています。
元和元年、今より約400年程前、虚空蔵尊が建立され、当時は若木だったのか、一次才に成長して枝がお堂の屋根をおおい、傘のようであったので、村人は「虚空蔵尊の傘松」として珍重し、地方の名物になりました。
幾年かが過ぎて、お堂のお屋根替えとなった時、和尚、職人、村人達が心配したのは、この松の木が邪魔になることでした。
協議が幾日となく続きましたが、ついに名案はうかばず、いよいよ明日切られるとなり、その夜、和尚が眠りにつくと、夢の中で、仏のお告げを受けました。
あの松は今まで虚空蔵堂を雨風から守ってきたのだ。明日までには屋根替えの邪魔にならぬ様にしてやるから、幾久しく大切にする様に」と言うのです。
夜明けをまって和尚は、お堂の前に立ち、松を見ると、木は幹の中断からよじれ、お屋根替えの差障りのないようになっていました。
まさに、 お仏のお告げの通りになっていたのです。

4.月見の井戸

弘法大師が黄土山より下山して此の地に来た時、
かかる仙境に水なきは不便なり」と錫杖をふって経を読んで、
法をねること7日が経ちました。ある夜、杖が地底に徹して、湧水が天に沖して、
おさまった時、昼間なのに、月影をのぞんで星のまたたくのがみえました。
大師はこれをみて、「これ、仏尊の興えし水なり」と言って去って行きました。
現在の井戸は土砂にうづもれてその深さは昔の数分の一ですが、
数十年前までは、夜、月を見る事ができ、
その美しさはたとえようがなかったといわれています。

5.片葉のよし

仁王門をくぐると左手に 小池があります。
この池に今のかねつき堂の所を通り本沢より真直に沢を掘り水を注いだのは今から200年程前のことです。
この沢に生えたよしは、一方にのみ葉が生じて、さながら本堂に頭をたれたように見えたということです。
大伴家持の庵の跡に生えたといわれており、現在は残念ながら絶えてしまいました。

6.黄土山の黄金水

行基菩薩が、黄土山頂上で秘法を行い湧き出た水で
大衆の飲料水に指定された無病息災の水です。
現在でも遠方より多くの方々が黄金水を汲みにいらっしゃいます。
この水は、下記の山門の仁王堂との深い関わりの物語があります。 →→→「黄土山の黄金水」と「山門の仁王堂」由来について

7.子育ての松

境内に一本の松がありました。
いつの間にやら幹の間に杉が生えてきて、それが子を育てる松の姿に見えました。
今はその松は枯れてしまいましたが、子の杉のみ、亭々として一盛観をそえています。

(松が枯れたのは約百年前です)